スポンサーサイト

--. . --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


人気ブログランキングへブログランキング

バブル崩壊

2010. . 05
「もう、バブルは崩壊していて、世の中は暗い話題も多かったけど、そんな中、僕は一応は青春を謳歌していたように思う。」



バブル景気(バブルけいき)とは、日本の経済史上で、1980年代後半~1990年代初頭にかけてみられた好景気である。

投機などの加熱により資産価格が一時的に異常な高騰をみせ、その後投機熱が冷め急速な資産価格の収縮が起こる様が、泡がふくれてはじける様によく似て見える事から、バブル景気、バブル経済、バブル崩壊などと呼称する。


指標の取りかたにもよるが、概ね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間を指すのが通説。


「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬にして起きた現象ではない。グラフ(各種指標)はある瞬間に最大値を取り、理論上、そこでバブル崩壊が始まったわけだが、それは単なる序章に過ぎない。バブル崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象である。


データ上、バブルの崩壊は1990年11月頃始まったが、必ずしも誰もが直ちにそれを体感したわけではない。バブルの崩壊を経済学的現象ではなく深刻な社会問題ととらえるとき目安となる時期は、全国的に地価の下落が明確となり、有効求人倍率や新卒の求人倍率が大きく低下し、企業の業績悪化により学生の内定取り消しも相次いだ(就職氷河期も参照)1993年頃から、不良債権問題や株価低迷によって大手金融機関が次々と破綻に追い込まれた1997年頃にかけての間であり、それまでは(事実としてバブル崩壊が始まっていたにもかかわらず)それを認識できずに楽観的でいたり、そうでなくても、まだ持ち直すかもしれないと期待していた人々がほとんどだったと見られる。

経済政策の失敗によって1997年以降の景気が極端に悪化し、リストラや採用抑制が一層激しくなっているため、本格的に実害をこうむった1990年代後半~2000年代前半を特にバブル崩壊による景気悪化と振り返って捉えている人も多い。

人気ブログランキングへブログランキング
スポンサーサイト

スターバックス

2010. . 05
「まだ、たしか、スタバも日本には上陸していなかったと思う。」



1971年にアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで開業した、世界規模で展開するコーヒーのチェーン店である。1986年に、エスプレッソをメイン商品としてテイクアウトと歩き飲みが可能なスタイル(シアトルスタイル)でのドリンク販売を始め、後に北米地区全土に広がったシアトルスタイルカフェ・ブームの火付け役となった。



「日本進出」
1996年8月2日、東京銀座に、北米地区以外では初めてとなる、日本1号店を出店。チェーン店ながらも洗練された店内・おしゃれなメニュー品目・欧風のオープンテラスの併設などから大きな人気を呼んだ。

日本に開店した1996年当時の喫茶店としては珍しく、店内を全面禁煙にしていたことも特徴。喫煙する客のために、屋外のオープンテラスは喫煙可としている。特に女性層を中心に好評を呼び、日本のカフェブームが進むきっかけとなった。




人気ブログランキングへブログランキング

ニートとは?

2010. . 05
「もちろん、ニートなんて言葉もなかったし、まだ、たしか、スタバも日本には上陸していなかったと思う。」


この言葉は厚生労働省が2004年に発表した労働白書の中で、「労働者・失業者・主婦・学生」のいずれにも該当しない「その他」の人口から、「15-34歳」までの若年者のみを抽出した人口(若年無業者)が、同年出版された玄田有史の著書において「NEET=ニート」と言い換えられ、以後、マスメディア等を通じて一般にも知られるようになった新語である。

そもそもニートとは「○○をしていない」という「状態」を現すにすぎない言葉だったが、現在では「○○をする意欲が無い」という意味で使われることが一般的となっている。

人気ブログランキングへブログランキング

パソコン、インターネットの普及

2010. . 05

「1993年の秋、~ほとんどの人はケータイもパソコンも持っていなかった。」




パソコン世帯普及率
93年が11.9パーセント。08年が85.9パーセント。

インターネット世帯利用率
96年の後半で3.3パーセント。09年で91.1パーセントとなっている



Microsoft Windows 95
Microsoft Windows 3.1の後継としてマイクロソフトが1995年に出したオペレーティングシステム (OS) である。

1995年8月25日英語版が12ヶ国で先行して発売。日本語版の発売された1995年11月23日(勤労感謝の日)の秋葉原などでは深夜11月23日になった瞬間に販売を始める店が多く、業界関係者や報道陣を中心に一種のお祭り騒ぎの様相を呈した。Windows 95は20世紀最大のヒット商品とさえいわれた。


人気ブログランキングへブログランキング

ポケベルと携帯電話の普及

2010. . 05
「1993年の秋、~ほとんどの人はケータイもパソコンも持っていなかった。ポケベルでさえ持ってる奴なんて僕の周りにはいなかった。」



「携帯電話の普及」


携帯電話は、1979年12月、東京23区内で開始された 「自動車電話サービス」 がその始まり。

新規加入料 80,300円 の他に保証金 20万円 が必要、 基本使用料は月額 3万円、通話料金は平日昼間 6.5秒 10円 。


次第に小型・軽量化され、 1990年 には 200g、1996年 には 100g をきるものが登場。

1996年に加入台数が1000万台を超え、ポケベルの加入台数を抜くようになり、急速にこの年を境に普及していった。

ちなみに1999年2月22日にNTT ドコモの 「i モードサービス」 が開始。




「ポケベルの普及と衰退」

1990年代中盤には主力ユーザーであった女子高生を中心に、例えば「14106」=「アイシテル(愛してる)」というように、数字の語呂合わせでメッセージを送る一種の言葉遊びが流行し、個人対個人で他愛ないメッセージを送りあう道具として急速に普及し、頻繁に利用された。

1993年に製作されたテレビドラマ「ポケベルが鳴らなくて」や、同名の主題歌もヒット。

数字だけでなく、カタカナやさらには漢字まで画面に表示できるタイプも発売され、1996年には加入者の増大に対応するためFLEX-TD方式の導入が開始された。最盛期の1996年6月末には、約1077万件の加入者があった。

1995年以降、急速に携帯電話の料金が低下。携帯電話・PHSの普及と引き換えに、ポケベルの解約が増え始める。

1996年にドコモが新人だった広末涼子をCMに起用するが携帯電話への乗り換えは止まらなかった。

1999年10月末には加入者が約280万件まで激減した。





「PHSの普及」


1993年 - 札幌と東京で実験開始

1994年に、携帯電話に旧デジタルホン(現ソフトバンクモバイル)とツーカーグループの新規参入があって、携帯電話間で激しいシェア争いや価格競争が始まったものの、まだ高額だったのに対して、PHSは本体価格・基本料金・市内通話料金が携帯電話に比べて格段に安いことから、初年度の1995年度には総計で150万台に達した。

1995年 - NTTパーソナル(現NTTドコモ)、DDIポケット(現ウィルコム)(共に7月1日)、アステル(10月1日)各グループが本サービス事業を開始

その後、通話エリアの拡大や本体機能の充実、本体及び新規手数料を無料とした契約促進キャンペーンや販促用景品やクイズなどの賞品への利用なども頻繁に使われたためにPHS加入者は急激に増加し、1996年末には総計600万台を突破する。



テレビドラマ「ポケベルが鳴らなくて」



広末涼子 - ドコモポケベルCM


人気ブログランキングへブログランキング
 HOME 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。